音楽地獄

音楽に関係ありそうなことと、音楽に関係なさそうなことについて書く。

19世紀末イギリスにおける"精神分裂"ー『シャーロック・ホームズ』シリーズにみられる"分身"の描写

英文学の授業でジキルとハイドを読んで、それに関するミニレポート書きました。きちんとした論考じゃないけど晒しておきます。

※授業内容やジキルとハイドの内容が下敷きにあるので、いろいろ解説・説明不足な点が多いと思う(やる気があれば補筆する。やる気はたぶん無い)

_____

シャーロックホームズとワトソン、およびモリアーティの関係性について述べる。この作品も分身や二重性が潜在的な題材になっていると考える。

物語の大部分はワトソンの記述によるものである。読者の知るホームズ像はワトソンの視点を介して作られる。
ワトソンは疑問点をホームズに問いかけたり、ホームズの明晰な観察や指摘に感嘆する。このようなワトソンの『目』がホームズの人物像を浮き彫りにしていく。
共に事件を解決するために動いていく両者のベクトルは同一線上にあり、それぞれに補完しあって一つの像を作り上げている分身同士であると言える。
脇役であるワトソンは影のような存在に思われがちであるが、小説の構造上、ホームズの存在はワトソンに内包されているとも言える。

一方で、宿敵である悪役モリアーティもまた、頭脳の明晰さなどホームズとの共通点が多く記述されている。モリアーティとホームズも分身同士にあてはめることができるだろう。両者は最後の対決において、同時に滝に落ちる。この後も作品は書かれ続けるが、本来ならば作者コナンドイルはこの時点で物語を完結させるつもりだったという。

両者の関係は、ジキルとハイドの関係性との共通点が見られる。ホームズとモリアーティは似たもの同士であるという描き方がされており、対極にありながら善と悪の二項対立ではない両者の不可分性を読者に感じさせる。また、両者が同時に死ぬという点もジキル/ハイドの死を連想させ、象徴的である。


しかし、完結及びホームズの死を惜しんだ読者から続編を望む声が殺到し、ホームズは実は生きていたという筋書きでドイルは執筆を続ける。
ここには社会情勢が深く関わっていると思われる。様々に事件や社会問題の渦巻く世紀末イギリスに登場したシャーロックホームズは、人々の希望的存在だったのではないだろうか。当時、実在の人物と思いホームズの住む住所を訪れる人が絶えなかったという逸話もある。そして人々は、ホームズとモリアーティという表裏一体の分身が同時に破滅することではなく、ホームズとワトソンという同ベクトルで完結した自己が残り続けるという結末を希求したと言い換えられるのではないか。

おわり。