音楽地獄

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【歌舞伎】江戸時代の女形!芳沢あやめの演劇論

 

 

芳沢あやめっていう江戸時代の歌舞伎役者がいて、その人に関する文章を読んだので考察を書きました(授業レポートから一部改変したのち投下してます)。せっかくなのでブログに載っけておきます。

 

どんな人だったのかはwikipedia見て・・・!

芳澤あやめ (初代) - Wikipedia

 

 

 

 

 

 

あやめ草 (抄訳)

あやめ草の一部分を抜粋して訳出しました。文法的に間違ってるとこもあると思うけど意訳ということでよろしくお願いします。丁寧な訳出ではないので、その辺あまり参考にしないでください。 

👉女形なのに「立役」を薦めれるのは女形の恥である。

 女形として居ながら、立役になったならば良いだろうと言われるのは、恥の中の恥である。女形から立役へ代わって、立役でともかくも良いと言われるのは、女形の時には上手でないのだろう。立役へ代わって見すぼらしい(者)は、女形のときに良いだろうと、常に申されたが、(以下弥五郎の評言)あやめは立役になられてて、一体下手だろうか。女にも男にもなれる身は、もとになきこと であるためと感じております。

 

👉女形が上手くいかないからといって立役になるのは、今までの芸が無駄になる。本当の女はそのようなことができない。 

 女形としていながら、もしもこれで上手くいかなかったらば、立役へ変わろうと思う決心がつくやいなや、これまでの芸の積み重ねが無駄になるものである。本当の娘が、男にはならないということを承知するべきだ。本当の女は、もうこれではすまないと言って、男になることができてよいだろうか、いやできない。そのような心持ちであっては、女の情に無智なはずであると、申されるのももっともなことであるよ。 

 

👉女形は本当の女のあるべき姿である貞女として居ること。

 女形は貞女であることを乱さない ということがあるべき姿である。これをもって本当の女と同じ道理を承知するべきだ。どのように大当たりのする歌舞伎芝居であっても、貞女を乱す役ならば断るべきだ。

 

👉地の芸の部分を重視せよ。水木辰之助への評。

 舞踊は歌舞伎芝居の”花”である。地(セリフ劇の部分)は歌舞伎芝居の”実”である。舞踊の目覚めるような事だけ考えて、地に一生懸命に取り組まないのは、花ばかりを見て実を結ばないのと同じである。水木辰之助など、上手いことは上手いが、そういうことの工夫がないように見られる。花が咲くのは実を結ぶためであるので、写実芸を基にして花を添えるようにと、若い女形へたびたび意見をした。

 

👉立役の役者への評。

 藤十郎と歌舞伎芝居をする時は、ゆったりとして大船に乗っているようなものである。山下右衞門と芝居をする時は、気が張って一生懸命にしなければならず、嵐三右衛門と芝居をする時は、引っ張ってあらねば間が抜けがちであるということを、何度も申されていた。

 

👉共演者への考え方。自分だけが人気が出ればいいという考えへの警鐘。

人の金を返さず、払うこともせず、立派である道具を求めて、緩やかに暮らす人と、相手が傷つくことを構わず、自分一人が当たればいいと、思う役者は同じことである。金を貸した人はどれほど腹がたつことであろう。相手になる役者は、破滅することになり、最終的には出世・身分の妨げにもなることだと申された。 

 解説・補足

当時の女性観

女形は貞女をみださぬといふが本體なり」封建社会の理想とする儒教の教えによる女性観。

「花」について

世阿弥は「風姿花伝」や「花鏡」で、芸能の花を意図つの理想として解く。あやめ草におけ「花」は、実に対する花やかさ、もしくは虚の性格を指す

花と珍しさは一致するとされる。

 →「当座の花に珍しくて」(風姿花伝

 →「見る人の一旦の心のめずらしき花なり」(年来稽古条々)

水木辰之助について

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(1673~1745)芳沢あやめと並ぶ元禄時代を代表する女形。所作事を得意とした。地芸を得意とした初代芳沢あやめとは好対照

であったとされる。宝永1(1704)年,伯父の甚兵衛の死を契機に引退。

 坂田藤十郎について

f:id:ma1928:20180117212534p:plain1647~1709)延宝6年「夕霧名残(なごり)の正月」の藤屋伊左衛門が当たり役となる。上方歌舞伎の和事を完成させた。芸風は写実的でせりふ回しにすぐれていた。 

 

 

あやめ草 考察

ここから先は、授業レポートから一部改変したものです。

 あやめ草の中には「ほんの女(本当の女)」という単語が頻出している。ここから、芳沢あやめが実際の女性像を深く理解しようとしていた強い姿勢がうかがえる。単なる舞台上での役柄を超えて、女性になりきる事を徹底していることがわかる。

 女形を代表する芳沢あやめの後世への影響は大きい。すべての女形の歌舞伎役者が、実際に女性そのままの格好をして生活をしているわけではないだろうが、しかしこの『あやめ草』に見られるような芸事への考え方は、現代まで続く女形の礎となっていると言えるのではないだろうか。

 舞台芸能は映像資料が残らない以上は、実際にどのような動作、掛け声、様子だったのかを想像をするしかない。江戸時代の歌舞伎の様子を推測する手がかりとしても、大変貴重な資料であると言えるだろう。

 今でこそ歌舞伎は日本の伝統芸能として手厚く扱われてはいる。だが江戸時代は、芸能活動を行う者は身分が低いという認識が強かっただろう。そのような環境の中で、苦労もあったであろうが、芸事に邁進した役者の姿に非常に感銘を受けた。

 同じ国内とはいえ、芳沢あやめが活動していた時代からすでに200年経っている。当時の人々の感覚をすぐさま追体験するのは容易とは言えない。特に日本の場合、開国・明治維新などを経て国内のあらゆる面で大きな転機が訪れている。さらに第二次世界大戦を経験し、戦前と戦後でも国内の様子は大きく変わっている。政治のみならず文字や芸事をめぐる状況はかなり目まぐるしく変化してきた。

 このような背景もあり、つい歴史上の過去の日本を完全な別世界のように感じてしまいがちである。やはり資料を追ったり文献を確認していても、様々な点で現代との違いを感じる部分が多い。文字の読み方や言葉遣いに始まり、価値観や生活習慣など、現代とは大きく異なっている。しかし一方で、同じ人間として共感できる部分や、今日の芸能や文化・生活に影響が残っている部分も感じる瞬間がある。学べば学ぶほど、人間の創造へのこだわりや熱意は今も昔も通じるものがあると感じさせられる。

 もしも芳沢あやめや他の歌舞伎役者たちが、現代の歌舞伎や諸芸術を見る事が出来たならば、どのような感想を抱くのだろうか。もし芳沢あやめが現代に生きていたら、どのような女形になっていただろう。もしくは歌舞伎ではない他の芸能や新たな分野で才能を発揮していたかもしれないーー。いずれにせよ単なる想像でしかないが、あやめ草を読みながらこれらのような考えが頭をよぎった。歴史上の役者の思考・感性に触れたことを通し、自分自身の歌舞伎や諸舞台芸術の見方・考え方にも広がりがうまれたと感じる。学術や芸術家が研究する目的のみならず、鑑賞者の楽しみを広げるという点でも、歴史的資料を振り返る機会は有意義であると思う。

 

おわり。